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現在とは?
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独立国家であったチベットは、1949年に口火を切った中国の侵略で、戦闘によって人命損失の危機にさらされ、続いてすぐに、共産主義イデオロギーと文化大革命(1967- 1976)に代表されるような計画によって、普遍的な自由さえも失ってしまった。しかし、最悪の事態は既に過ぎ去ったかのような誤った認識がまかり通っている。現在でも、チベット固有の国民性、文化、宗教の独自性は、中国によって深刻な脅威にさらされ、翻弄され続けている。 中国の占領と弾圧の政策は、チベットの国家としての独立、文化、宗教性、自然環境の破壊を引き起こし、人々は基本的な人権まで奪われている。再三再四、国際法を犯す中国のこれらの破壊行為は、注目はされているが、未だに罰されることなく繰り返されている。 中国支配以前、チベットが独立主権国家として存在していたことが、2000年以上も前の歴史に記されている。近年では、1913年にはモンゴルと蒙蔵条約が、1914年にイギリスとシムラ条約が締結されていることでも、チベットが完全な独立国家として認識されていたことが明らかである。ただ、国際連合に代表をもたなかったために、世界は中国の侵略と破壊行為をただ傍観することを容認してしまったのである。 チベット人は繰り返し中国からの独立を訴えてきた。我々チベット人は非暴力による抵抗運動を行ってきているが、チベットでは10歳にも満たない子供達が「チベットは独立国家だ」とか「ダライ・ラマ法王にご健勝あれ」とささやいただけでも、中国は『母国』を『分裂』をたくらんでいると告発し、投獄を宣告されることが多々ある。チベット国旗に似たものを所持するだけで、7年間投獄される。 中国のチベットでの情け容赦のない宗教破壊は、文化大革命時の6千を越える僧院と、膨大な数の宗教芸術品の破壊に見て取れ、そして、今日でも共産党当局の宗教に対する態度は少しも変わっていない。 チベットの学究と熟考の中枢である僧院には、中国当局の「工作隊」が駐在し、力ずくで僧や尼僧に政治的・宗教的信念の「愛国再教育」をしている。彼らの手法は文化大革命時に強いたものと同様で、1996年から1998年の間に、中国当局による「厳打」キャンペーンで492名の僧尼が逮捕され、9,977名が僧籍を剥奪された。 チベットの精神的・政治的指導者であるダライ・ラマ法王と、法王が認定したパンチェン・ラマ11世は公然と非難され、チベット人は中国政府への忠誠を誓うよう強制されている。忠誠を誓わない場合は、投獄やその他の形での処罰が科せられる。ダライ・ラマ法王の写真を所持することは、現在、チベットでは違法となっている。 近年、継続する中国人のチベットへの人口移入によって、チベット人が自らの地で少数派になっているという現象がおきている。現在、チベットでは、チベット人600万人に対し、中国人は750万人で、中国人人口の方が勝っている。経済開発・社会開発という口実で、計算され、政府が推奨している移住政策は、チベット人の経済・教育・政治・社会構造を軽んじたもので、それは、チベット文化を押しつぶす脅威となっている。 中国による占領と大量の中国人のチベットへの移住により、チベット語より中国語が有利になりつつある。中国政府は、すべての分野においてチベット語を無用な状態にすることで、チベット文化を抑圧している。中国人と共産主義イデオロギーによってコントロールされている、チベットの教育システムは、中国人移住者と妥協したチベット人達によって管理されている。チベット人学生は、法外で差別的な授業料を支払い、辺鄙な地域の設備の整っていない施設に追いやられている。 1998年の終わりに、中華人民共和国は人権宣言、人権規約及びその実施措置の3分野のすべてを含む国際権利章典に調印したが、中国国内でもチベット内においても実行からはまだ程遠い。日常生活での抗議を続けるチベット人に対し、そして、未来におけるチベット固有の文化の存続に対し、個人的・集団的権利の侵害は続いている。 21世紀に入り、チベット亡命政府は、中国政府のチベット在住のチベット人に対する生命・自由・安全に対する権利の侵害、さらに言論・宗教・文化・教育の自由に対する侵害を厳重に見直している。 現在、チベットでは以下のような事が公然と行われている。 中国共産主義イデオロギーに反するような意見はどんな表現であっても、逮捕の対象となる。 中国政府は、ダライ・ラマ法王に対する忠誠心、チベット民族主義、およびあらゆる反対意見を組織的に覆い隠している。 チベット人は、恣意的な逮捕・拘禁をされている。 現在収監されているチベット人達は法的代理権は与えられず、また中国の訴訟手続きは国際基準を満たさないものである。 国際の拷問等禁止条約に矛盾しているにもかかわらず、中国の刑務所や拘置所では、今でも拷問がはびこっている。 チベット人女性は、不妊手術・避妊・中絶手続きを強要する対象にされている。 生計困難、不十分な設備や差別的な方策のため、多くのチベット人の子供達は、適切な健康管理や就学の権利を与えられていない。 政治的理由による投獄率が、その他の中国支配下の他の地域に比べ、はるかに高い。 子供でさえ、言論の自由に対する中国の抑圧から免除されることはない。18歳未満のチベット人の政治犯がおり、子供の僧尼たちは自分達の宗教施設からことごとく放逐されている。中国は近年、チベットは非仏教地区になりつつあると宣言した。 強制収容され、詳細な拘留理由も明らかにされることなく、失踪を余儀なくされるケースが続出している。 70パーセント以上のチベット人は 「チベット自治区」に住んでおり、現在、貧困線(最低限の所得水準)以下の生活をしている。 人権誓約の規定により中国政府が罰せられるよう、継続的な国際的圧力をかけることが非常に重要である。 アジアの中心に位置し、チベットはこの世界における環境的な要塞であり、非常に繊細な地域のひとつである。チベット人は、地球を構成している生きとし生けるもの全てが相互依存しているという仏教の信仰によって、自然と調和して生活している。しかし、チベットの侵略とともに、消費拡大主義で物質主義的な中国共産主義イデオロギーによりチベットの人々のこの自然尊重の姿勢は踏みにじられてしまった。過去50年間に、森林伐採・土壌浸食・野生動物の絶滅・過放牧・無制限な採鉱・核廃棄物の投棄など広範囲に亘って環境が破壊される結果となった。今日でも、中国人は−しばしば海外の援助を受け−少しの環境保護も無しに、様々な天然資源を採取し続けている。その結果、チベットはその国境を遥かに越えた世界にも影響を及ぼすことになるであろう環境的な危機に直面している。 チベットは世界でも高水準の森林貯蓄量を誇っている。チベットでは、多くの樹木が高さ27.5メートル、幹の太さ1.5メートルに成長するまでには数百年を要します。中国のチベットに対する「開発化」「近代化」計画は、見境の無い森林の破壊に見て取ることができる。1959年には2千520万ヘクタールあった森林面積が、1985年には、中国の乱伐により1千357万ヘクタールにまで減少してしまった。46パーセント以上のチベットの森林が破壊され、いくつかの地域ではこの数値が80パーセントという高い数値ところもある。1959年〜1985年の間に、中国はチベットから540億米ドル(約6240億円)相当の材木を運び出した。森林伐採と不適切な森林再生計画は、野生動物、土壌浸食を惹き起こし、世界的な気象の変化に深刻な影響を与えている。 チベットにおける大規模な森林伐採、採鉱、および農耕地の拡張は、土壌浸食とアジアの重要な河川の沈泥の増大を惹き起こしている。メコン川の沈泥、揚子江、インダス河、サルウィン河、黄河などの河床の上昇が、近年アジアで起こった主な河川の大氾濫の原因となっている。これは、地すべりや農耕可能な土地の減少を誘発し、チベットに端を発する河川の下流域に住む世界の人口の約半数に悪影響を及ぼしている。 科学者達はチベット高原の自然植生と、南アジアの穀倉地帯にとってかかせないものである、インド及び南アジアのモンスーンの安定についての相互関係を認めている。また、チベット高原の環境が、世界的な環境に悪影響を及ぼす太平洋の台風やエルニーニョ現象の原因とされている、チベット高原上空のジェット気流との相関関係にも言及している。 1901年にダライ・ラマ13世は、チベットでの野生動物の狩猟禁止令を発令した。残念なことに、中国は同様の制約は実施せず、それよりも絶滅寸前種の「トロフィー・ハンティング」が積極的に奨励されてきた。チベット高原においては、39種の哺乳類、37種の鳥類、4種の両生類、1種の爬虫類の、少なくとも81種が絶滅の危機に瀕していると指摘されている。中国人によって国民のマスコットとして宣伝された有名なジャイアントパンダは、実はチベット固有の動物なのである。 硼砂(ほうしゃ)・クロム・塩・銅・石炭・金・ウランなどの採掘は、産業発達のための原鉱石として、積極的に開発されている。中国の15の主要な鉱物資源のうちの7つは、10年以内に枯渇すると予測されており、その結果として、チベットでの鉱物資源の採掘が、急速かつ無制限に増大している。採掘活動の増大は、更なる植生範囲の減少を加速させ、大規模な地すべりや、広範囲の土壌浸食、野生動物生息地の減少、河川の汚染を増大している。 かつてインドと中国間の平和的な緩衝地帯だったチベットは、今では少なくとも30万の軍隊と、核ミサイル舞台の4分の1以上を擁する軍事的要所になっている。1971年、中国は最初の核兵器をチベット高原に持ち込んだ。現在、中国はチベットを自国や他国の核廃棄物の投棄場として使用しているようである。1984年、中国核燃料総公司は、西側国の核廃棄物施設に1kgあたり1500米ドルで提供した。 中国の核施設の近くに住むチベット人や家畜の不審な死亡が報告されており、また癌発症や出生障害などの増大も報告されている。さらに、水質汚染が発生し、中国人の地域住民には水の使用に関し、公式に警告が発せられたが、チベット人住民には一切伝えられなかった。中国は、チベットの壊れやすい生態系や土地の公正な居住者達になんの配慮もなく、チベット高原を占領し続けている。 |
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トラブルシューティングなどでは、現在ログオン中のユーザー名を調べる必要がある。 多数のユーザー・アカウントを使い分けている場合や、コンピュータのトラブルシューティングを行う場合など、現在どのユーザー・アカウント(ドメイン・アカウントか、ローカル・コンピュータ・アカウントかの違いも含む)でログオンしているかを調査する必要に迫られることがある。ユーザー・アカウントごとに可能な操作や権限が異なっているし、特定のユーザーにしか使用を許可しないようになっているかもしれないからだ。 本TIPSでは、現在どのユーザー・アカウントでログオンしてコンピュータを使用しているかを調べる方法について解説する。 現在ログオンしているユーザー名を確認する一番簡単な方法は、[Ctrl]+[Alt]+[Del]キーを押して、「Windowsのセキュリティ」ダイアログを表示させることである。このダイアログの[ログオン情報]のところに、どのユーザーがログオンしているかの情報が「ドメイン名\ユーザー名」もしくは「コンピュータ名\ユーザー名」という形式で表示されている。名前の前にあるドメイン名やコンピュータ名の部分を見ることにより、ドメイン・アカウントでログオンしているか、それともローカル・アカウントでログオンしているかも判断できる。 このダイアログには、現在ログオンしているユーザーの情報が表示されている。 コンピュータ名もしくはドメイン名と、ユーザー名の情報。 タスク・マネージャの[プロセス]タブには、現在動作中のプロセスの一覧が表示されるが、そこにプロセスの属しているユーザーの情報([ユーザー名]フィールド)も表示されている。プロセスの一覧には、システム・プロセスの一覧も含まれているが、一般的にはエクスプローラのプロセス(explorer.exeプロセス)のユーザー名が、現在ログオンしているユーザー・アカウントに該当する。 [プロセス]タブには、現在実行中のプロセスに関する情報が表示されている。この中にユーザー名情報も含まれる。 プロセスの一覧を見るには、このタブを選択する。 これがエクスプローラを実行しているユーザーの名前、つまり現在ログオンしているユーザーの名前。「ユーザー名」フィールドが表示されていない場合は、[表示]メニューの[列の選択]で「ユーザー名」を選択する。 ユーザーの簡易切り替え機能が有効になっていると、この[ユーザー]タブが表示される。ここには、どのユーザー名でログオンしているかが表示される。 これがオンになっていると、ほかのユーザーの名前が表示されることもある。 リモート・デスクトップやユーザーの簡易切り替え機能を利用していて、さらに下部にある[全ユーザーのプロセスを表示する]のチェック・ボックスをオンにしている場合などでは、複数のユーザーの名前が表示されることがある。 コマンド・プロンプトを開いて、環境変数の内容を調査することにより、現在ログオンしているユーザーのアカウントを調査することができる。[スタート]メニューの[アクセサリ]−[コマンド プロンプト]を開き、「set」コマンドを実行すると現在定義されている環境変数の一覧が表示されるが、ログオン・ユーザー情報は以下の変数から得られる。 ユーザーがログオンしている環境。コンピュータのローカル・アカウントでログオンしている場合はコンピュータ名が、ドメインのアカウントでログオンしている場合はドメイン名がそれぞれセットされている このコマンドを引数なしで実行すると、単にログオンしているユーザー名(とコンピュータ名もしくはドメイン名)が表示される。オプションを指定すると、ユーザーごとの特権やSIDの一覧などといった情報も表示させることができる。 システムに自動ログオンする方法(ユーザー管理ツール編) 前回ログオン時のユーザー名を非表示にする このリストは、(株)デジタルアドバンテージが開発した 「地デジ難民」を救うか、手のひらサイズの地デジアダプタを開発 MSのパートナー向けトレーニングノウハウを御社にも 答:あなたのスキルとキャリアが評価されたから 今月のプレゼントは……無料登録・無料応募で − 修正プログラムがインストールできない場合の対処方法 不用意な管理者権限での利用を制限するユーザーアカウント制御、UACの仕組みとは。アプリケーションの互換性維持の方法についても解説 「分からないんで教えてください」はいけないの? スパムメール対策――必要なメールを必要な人に 著作権はアイティメディア株式会社またはその記事の筆者に属します。(著作権について) 当サイトに掲載されている記事や画像などの無断転載を禁止します。 |
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現実の活動のすべてを、現在進行形という視点から見てみたい。すでに、結論は持っている、先に述べておこう、その方がフェアだろう、つまり、現在進行形とは、現在、今、いわば覚めない夢の、ゆらぎのなかで価値が定まらない、ということである。 活動的であればあるほど、人は、今という夢、現在というゆらぎのなかにいる。ビジネス、経済の世界が、いちばん活動が活発だろうか、いわば活火山のように、自分しか見えない、私は、すでに方法としての現在進行形と言った、そう、それに価値を置いているのだ、現在進行形の価値を発見しつつある、と言ったほうが正確だろうか。 そこでは、弱肉強食のように、絶えず勝ち組み、負け組みがつくられてるように見え、優勝劣敗の世界のようである、そのように見えるけれど、果たしてそうだろうか、と、私は問う、私の魂胆は後でそれを否定するつもりなのだが。 時代や人の潜在的ニーズをたえず掘り起こし、需要を喚起するものだけが生き残っていくように見える。潜在的需要とは、言い換えれば、新製品、新しいビジネスモデルと言えよう。そして、それは、現在進行形を重視する視点においては、あたるかあたらないか、わからない。時間が流れ、過去形になったとき、ようやくその成否がわかる。 社会の変化というのではない、かつての年功序列から成果主義へとか、かつての非常識が常識にとか、そういうことを言おうとしてるのではない。繰り返すが、現在進行形とは、覚めない夢、覚めない今なのだ。自分しか見えない、というより、自分すら見えない、やるからやる、価値もわからない、ただ活動のレベルは高い、そういう次元のことである。 このような現在進行形を肯定したなら、過去を否定しなければならない、小野十三郎が、奴隷の韻律、短歌的抒情の否定で、歌うな、といったのにならうなら、過去を見るな、過去を捨てろ、過去の価値を否定しろ、ということになる。その理由を述べよう、つまり、現在進行形の状態はよいかわるいかわからない状態である、しかし、過去は価値がはっきりしている世界である、それに左右されることが、現在進行形にとってはマイナスだということである。過去の価値体系は大事だが、現在進行形を優先する立場からは、過去は価値がはっきりしている故に、否定しろ、ということになる。あるいは、現在進行形的に再発見された過去なら許されるか。 私の立場をもう一度言おう、今、現在、わけのわからないもの、覚めてない夢、今と自覚もしない今、このゆらぎを何よりも、今回、重視しようということだ。 むろん、ゆらぐ現在によって過去もゆらぐ。 過去までもどれる人が、未来について考えられる、というのは、つい最近読んだ、島田雅彦の言葉だが、それに異論をとなえるつもりはない、それは、そのとおりだ。 すこし戻ろう、ビジネス、経済活動と文学、芸術を比べてみよう、前者は現在進行型であり後者は過去型であるということだ、文学や芸術は過去からの影響下に強くあるだけでなく表現自体が反省とか時間的要素がつよいということなのだ。過去からの影響なしで何も生みだせはしない、しかし、未来がもとめているものはわからない、そこで、現在進行形という極度にダイナミックなものを使おうということである。 もともと、人は、結果の見えていることはしない、不確実なものに対して、投企するというか賭けるのである、過去の価値から現在進行形の詩へ、そして、不確実な未知なものへの投企、おそらくぶざまな失敗に終わるだろう、しかし、それが本来の詩ではないだろうか。 詩は、簡単なだけに前衛になるかそれとも形式、評価された価値に安住するか、詩のなかには、正反対の要素が入り込む、もちろん私が求めるのは前衛である。 インターネットが、詩に現在進行形をもたらしたと思う、悪く言えば無法地帯、よく言えば新しいメディア、かつては、編集者が門番のようにしていれなかったメディアに一気に誰もが参加できるようになった。 まさしく、現在進行形の世界そのものである。 そして、それは弱肉強食の世界のように見えるが、そうではない、と言いたいのだ。私自身、進化論では、今西錦司氏のすみわけ理論や、全体が、一度に変わるべくして変わる、といった考えのほうが好きだし、木村説の、必ずしもすぐれた者が生き残らない、という進化の中立説もある。どちらかといえば、こういう説に共感する。民主主義など、弱者連合が即強者だし、それはともかく、おそらく社会も詩も弱肉強食の原理で動いていない、結果そう見えても、ほんとうは、新しいモデルを生みだした者に、どれだけのファンができるかということだろう。 私自身、現在進行形のタイプというより過去形のタイプだと思う、だから、現在進行形のタイプにあこがれ、その意義を強調するということになってるのだと思う。 そして、詩人は捨てても良い、詩人は不要だ、詩人は要らない、過去の遺物だ、人、人間、社会人、それで十分だ、詩人などという人種は、消えてなくなればいい、これも、現在進行形を優先する考えからのものだと思う。いまは、そんな気になっている、過去形の詩人では、本来の詩人の役割も果たせないかもしれない。 極論を言ってしまえば、普通の人の感性の方が上で、普通の人の言葉の方が面白くて、詩人は、ただのたわごとの可能性。 方法としての現在進行形、詩人を捨て、現代に生きる一人の現代人として懸命に生き、そこから、過去を捨て、価値のわからない現在進行形に身を置き、不確実な結論のでていない、表現、感性、言葉、方法に賭ける。未来へと投企する。ぶざまに失敗をする。その姿勢を。 |
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今まで、ロシア語に限らず、「歴史的現在」という問題は、体系的には殆んど研究されていない。 このテーマが言語学はもとより、文体論、レトリックといった、いわば文学・詩学の諸問題と深く関わっているからに外ならない。 しかし、一方において、文学の一部の領域において、既に言語学的なアプローチが数多く試みられている。 語用論、テクスト言語学、更には認知科学といった詩学に隣接する様々な学問分野の台頭によって、今まで科学的な扱いが不可能と思われた多くの対象が、主に構造主義的な分析によって、客観的に位置づけられるようになってきている。 まず、先達の時制に関する諸研究を概観し(序論)、その上でロシア語の歴史的現在用法を4細類に分けることを提唱している。 その際、古代ロシア語の諸文献に用いられている古い歴史的現在用法から、20世紀の現代ソビエト文学における歴史的現在用法に至るまで、幅広く用例を渉猟し、具体的に吟味することによって、この4つの型の分類の正当性を裏づけている。 こうした事情から、ロシア語においては、一部の歴史的現在用法が、不完了体からしか作られないといった偏向現象が生じ、その点で、他のスラヴ諸語における歴史的現在用法とも大きな違いを見せている。 本論文では、ロシア語のこのような特殊性に鑑み、歴史的現在を、まず次のように4つの型に分類した。 この中で、I型だけが、完了休も使用されるが、他の3つの型は、もっばら不完了体のみの現在形が用いられる。 以下に、各型の歴史的現在の分析手順を示す。 [I型]については、小説の中に出てくる会話(体験談)を中心資料とし、その中に用いられている"体-時制"の使用傾向を分析する。 更に、いわゆるロ承文学であるブイリーナや民話など多岐にわたる話し言葉のスタイルを持つ資料を駆使して、この型の主要な特徴を総合的に導き出している。 [II型]については、プーシキンの全散文作品を用い、その中から歴史的現在の用法特徴を抽出、整理し、他方で、同時代の作家レールモントフ、ゴーゴリなどの作品の時制用法をも同時に分析し、結果を比較している。 その際、情報理論を援用し、レトリックとしての歴史的現在用法の機能について詳しい検討を行なっている。 [III型]については、チェーホフの全作品(戯曲などを除く)を資料として、その中に用いられている現在形の用法を様々なレベルから分析し、プーシキンと異なる、書き言葉的な歴史的現在用法を考察する。 更にソビエト文学から、チェーホフとは異質の現在時制用法を使った作品を選び、具体的に分析する。 [IV型]については、特に詳しい分析は行なっていないが、ソ連の新聞、雑誌などに用いられている用例を集めて示し、また戯曲のト書きや物語の要旨などの例も挙げて、まとめている。 「歴史的現在」の4つの型の相互関係を図式的に示すと、次のようになる。 上述の分析結果を整理し、各型の特徴を以下に示す。 この歴史的現在用法の特徴は、話し手の無意識な時制交替にある。 その原因としては、話し手が自分の体験談などに夢中になって、当時の自分に心理的に身をあずけることによって現在形が用いられるというメカニズムが有力である。 一方、語彙的には、直接話法を導く動詞や、状態や持続的行為を表す動詞に現在形が使われやすいという傾向がある。 また、語り手の極めて恣意的な使い方によって過去形と現在形とが規則性を持たず、全くランダムに現れる場合もある。 この用法の特徴は、使用されるコンテクストはI型と同じく主に会話中であるが、作者が読者に対する何らかの心理的効果を狙って現在形を用いているという点にある。 即ち、送り手がレトリックとして時制の性質を利用しているのである。 そこでは、基本的に現在形の有する2つの性質、(1)語りの時間を静止させる性質と、(2)語りの視点を作中人物の傍らからその内部に移す性質とが、利用されている。 (1)の性質から張り詰めた緊張感が、(2)の性質から作中人物との共感性がそれぞれ読者の中に心理的に生み出される。 II型と同様、レトリックとして用いられた歴史的現在である。 専ら、書き言葉的なスタイル(地の文)の中で用いられ、使われ方の規模もII型より大きく、II型とは異なる効果を狙っている。 語りの基本時制として用いられたり、心理的描写に用いられたりすることが主たる機能であるが、このIII型は本来、生産的な用法なので、更に新たな効果を狙った用法が生まれる可能性もある。 ニュートラルな書き言葉において用いられる歴史的現在である。 一般に、年表の現在、記録の現在、要旨の現在、ト書きの現在などと呼ばれている一連の現在形用法が、すべてこの中に含まれる。 文体的に共通している特徴は、送り手によ |
